ハッカはシソ科ハッカ属で、根(地下茎)で増える多年草の植物です。植生としての大きい特徴は、茎の形が四角で葉の縁が鋸の刃の形をしていることです。
畑作で生産するマメ科の作物はマメとして収穫され、イネ科の作物は麦、米の形で収穫、ナス科の植物などは実だけを採って収穫されますが、ハッカは葉の中に蓄えられた油分が作物に該当します。その油を取り出すために水蒸気蒸溜を行います。この作業を農家の人は「ハッカ蒸し」と呼んでいました。
ハッカの根は秋に植えられ、北見地方では5月に発芽し、葉の中に一番油が蓄えられる9月頃に地面から4〜5センチのところから刈り取り、ハサに掛けて20日間程度乾燥して11月頃、各農家が共同で「ハッカ蒸し」を行いました。
ところで蒸溜をするのになぜ葉を乾燥しなければならなかったのでしょうか?現在和種ハッカの生産地であるインドや、洋種ハッカの生産地であるアメリカでは、刈り取った草は1〜2日程度の乾燥でいきなり機械に入れ蒸溜をしています。これは乾燥に要する手間と費用を節約するためです。ではどうして日本ではそうしないのでしょうか?乾燥した草の量と生の草の量を比較すると、乾燥した草は生の草の4分の1から5分の1程度の量になります。ですから機械に乾燥した草を入れると生の草の4〜5倍も入れることができるわけです。しかも燃料は少なくて済むし、取れる油の質もきれいで、日本で行う方法がより経済的だということです。
水蒸気蒸溜(取卸)で得られた油を「とりおろしゆ(取卸油)」といいます。取卸油は一斗缶(15kg)に入れられて薄荷工場に持ち込まれます。ここでハッカ脳(メントール)とハッカ油に精製され出荷されました。
ハッカの命であるハッカ脳を取ることの出来るハッカを和種薄荷といいます。このハッカ脳は、熱を下げる力、痛みを取る力、炎症を防ぐ力、臭いを消す力、ガスを抑える力など薬として大変大きな力を発揮していました。科学の発達している西欧諸国ではハッカ脳を手に入れるためには、どうしても日本に注文しなければならなかったのです。日本にとってもお金になる作物(換金作物)としての魅力が大きくなり盛んに作付けされるようになりました。特に北見地方は寒冷地という土壌の性格から米を作ることが難しく、ハッカの作付けが増え、昭和14年にその作付け面積が20,020町歩(全国の90%)になり、そこから生産されたハッカ脳、ハッカ油の出荷額が当時の世界のハッカ市場の70%を占めることになったのです。 |